黒島防波堤(新潟鉄鋼防波堤)
関東周辺堤防釣り場ガイド ’07~’08年版 (2007)
(SEIBIDO MOOK)
画面手前の防波堤根元にわずかに見える磯が黒島。元は離れ磯だったが防波堤の拡張工事で陸続きとなった。
画面左手の大きな三角屋根が新潟鐵工所の工場。
以下新潟鉄工に関する資料はウィキペディアより引用
株式会社新潟鐵工所(にいがたてっこうしょ)は、東京都大田区蒲田本町に本社を置いていた総合重機の中堅メーカー。「新潟鉄工」また新潟県内では単に「鉄工」とも通称され、生産拠点のある新潟では有力企業の代表格であった。
新潟鐵工所自体は清算会社として存続。経営破綻後に事業譲渡が行われ(譲渡先は後述)、2007年夏を目途に清算業務を完了して解散する予定である。
前身は1895年に開設された日本石油付属新潟鉄工所。日本石油(現・新日本石油)の関連事業部門として、新潟県新潟市で石油事業関連の機械製造を開始した。1910年に分離・独立して正式発足。初代社長には日本石油創始者の長男・山口達太郎が就任。1917年に本社を東京都に移転した。
1919年には国内で初となる産業用ディーゼルエンジンを開発。1949年には東京証券取引所一部に上場した。エンジンやガスタービン、石油化学プラントの開発等を主力に、総合機械メーカーに成長。出身地である新潟県内に主力工場を展開し、関連会社も含め、造船や鉄道車両、各種産業機械の製造などを行ってきた。
しかし近年は海外エンジニアリング部門の業績が急激に悪化し、資金不足が深刻化。2000年3月期に債務超過に陥り、工場の再編や人員削減、不動産売却などで財務体質の改善を目指してきた。しかし、その後も事業中断や支払いが滞ったことに加え、アメリカ同時多発テロ事件の影響で受注が大幅に減少。更に株価も低迷するなど状況は好転せず、自力再建を断念し、2001年11月27日、東京地方裁判所に会社更生法の適用を申請、受理され、経営が破綻した。負債総額は約2270億円。その後、新潟鉄工の各事業は他社に譲渡された。